5月1日は、
TwitterのTL上でチラホラお見受けしましたが、サイレンススズカの誕生日です。
アイルトン・セナが事故で亡くなった1994年5月1日に産まれ、秋晴れの天皇賞(秋)1998年11月1日にたった4年半の生涯を終えてしまったサイレンススズカ。
母ワキアにトニービンをつけようとしたら、満口で、なら空いてるサンデーサイレンスにするか、と最初からまっすぐに産まれてきたわけではなかったんですよね。
そして、産まれてから牧場では特に期待されていたわけではないのでエピソードも無し。当時は、「サンデーの栗毛は走らない」と言われてましたからね。
でも、デビュー前から、坂路で50秒を切るすごい馬がいると評判で、新馬戦は手綱を一度も動かすことなく楽勝して、続く弥生賞ではゲートをくぐるわ、ゲートを出ないわえらいこっちゃで、4歳500万下とプリンシパルSは何とか勝ったものの、そこからしばらく連敗街道。神戸新聞杯は上村騎手が下手打ったと思いますけど。後の菊花賞馬にあんなに直線追わずにいたら、そりゃ差し切られますわな(笑)ただ、それだけサイレンススズカの力を信じていたと、前向きに捉えられるようにはなりました。(当時は激怒してました(笑))
年が明けて5歳(現4歳)になってからは連戦連勝。走れば勝つを繰り返し、そのまま天まで昇ってしまいました。
武豊騎手、福永祐一騎手、蛯名正義騎手や競馬記者、調教師など様々な人の談話を聞くたびに思い出を新たにして涙が溢れてしまうわけですが、僕も競馬を始めて20数年。未だに過去のことでこんなに心を揺らされてしまうのは、今になってもサイレンススズカだけです。
サイレンススズカがいなければ、今も競馬を続けていたかわかりませんが、続けていたらもっと冷静に馬券を買える馬券上手だったんじゃないかな?とは思います(笑)
でも僕は騎手や馬に文句を言わなくなったし、買った馬券は完全に自己責任と捉えられるようになって、競馬をお金以上に楽しめるようになったのもまたサイレンススズカのおかげ。それだけに天寿を全うして欲しかったという気持ちはどの馬よりも強くありますし、それによって今の競馬界がどうなっていたのかということにも興味があります。
全て、たらればなのでこれ以上はやめときますけれどもね。
ただ、一頭の馬に大きな影響を与えられたやつがいるということは事実です。
以前、僕の持ってるサイレンススズカ本を
Twitterでアップしたことありましたが、今日はもう1つアップすることとします。
それがこれ。
サイレンススズカ一周年追悼写真集。
定価5,000円+税ですから、当時大学生だった僕(あんまり言っちゃダメですけどね)にとっては決して安い買い物ではありませんでしたが、どこでどのようにして買ったんだか、発売してすぐ買っちゃいました。でも、結局ちゃんと見れてないんですよね。写真そのものも思い出を蘇らせてしまって辛いものがありますが、最後の方で加茂厩務員の言葉もありましてね。それを涙なしで読めるかって、あれから20年以上経っても僕はダメです。
ただ、せっかくなので、パラパラパラっと見返してみました。
天皇賞(秋)のときのサイレンススズカ。注文カードが挟まれてあったので、何年か前の僕にも思うところがあったんでしょうね。スマホのカメラだわ、光源考えてないわでひどい写真ですけど、左のサイレンススズカ、負ける気がしないでしょ?そりゃあ天皇賞(秋)で単勝1.2倍になりますって。だって、どうやってもマイペースで走れば勝てると思ってましたもん。僕も含めてたくさんの人が。
まあ絶版とはいえ市販本なのでこのくらいにしておきますが、以上のように、デビュー前の仔馬のときから天皇賞(秋)まで何枚も写真がありましてな(写真集だから当たり前か)。
なお、僕のお気に入りの中の1枚はこれ。
デビュー戦で、加茂厩務員に曳かれてるサイレンススズカ。まだ幼い顔つきやけど、男前やねぇ。そして、綺麗な馬体しとりますなぁ。当時の鞍上は上村騎手(現調教師)。この1997年2月1日のデビュー戦も、1枠1番だったんよなぁ…。
僕にとって、平成の競馬を語るとなると、どうしてもサイレンススズカを外してはならない、そんな馬ですし、今でもサイレンススズカを超える馬が産まれて欲しい、いやこのまま僕の中の最強馬でい続けて欲しいという葛藤を与えてくれる馬なのです。
そしてまた、サイレンススズカの生きているときに競馬が出来たことは僕の自慢でもあります。
ほなまた。